悲しみはどこにでもあふれている

アリア
ゔぇええええん!!!

レイ
・・・・・・
セダンの車の中で、娘の泣き声が響き渡ります。
引っ越すことになった友達のお別れ会が終わり、迎えに行ったときにはまだ涙を堪えていた娘も
車に乗って友達の姿が見えなくなると、ついに泣き出してしまったのです。
車は川沿いを走ります。山の稜線から照りつける夕陽は娘の涙をオレンジ色に染め上げました。
しばらくして、娘は泣き止むと、鼻をすすりながら言いました。

アリア
どうして……悲しみってあるのかな……
独り言のように、小さな声でつぶやきます。

アリア
悲しいって気持ちがなければ……こんな思いなんてしなくてすんだのに……。こんなつらい気持ちになるのなら……悲しみなんて無いほうがいいよ……。

レイ
そんなことないよ。
人に悲しみは必要なんだ

アリア
ほんとうかな・・・
この世界は悲しみであふれています。人生で一度も悲しみに遭遇しない人間などいないでしょう。
そんな世界で、「悲しみ」という感情が無かったら、どれほど生きやすいかと考えた人も少なくないと思います。
本当にそうなのでしょうか?
悲しみは私達に苦痛を与え、人生を苦しめるだけのものでしかないのでしょうか?
「悲しみ」という感情はなんのために存在するのか。そして、その価値について考えてみましょう。
『悲しみ』は種の繁栄のために必要だった?
悲しみが存在する理由。それは『悲しみ』を感じた方が種の繁栄に有利だったからです。
有名な『ダーウィンの進化論』で言われているとおり、
生物は生存に適した個体、つまり種を多く残せる個体が自然選択により選ばれ繁栄していく。というのが通説です。
つまり、人間が持つ感情は全て、人類の繁栄のために必要な感情だったと考える方が自然なのです。
『悲しみ』だけではありません。
『恐怖』も『嫌悪感』も『怒り』も『罪悪感』もネガティブな感情ですが、人類の繁栄のために必要な感情だったのです。
- 『恐怖』が無ければ、人は危機的状況を察知できません。たとえ命の危険があっても、その場所から逃げ出そうとはせず、簡単に命を落としてしまうでしょう。
- 『嫌悪感』が無ければ、人にとって危険な存在を遠ざけることができません。たとえば生ごみの見た目や匂いに嫌悪感を抱かなければ、人は病原菌に侵されてしまうでしょう。
- 『怒り』が無ければ、人は自分の権利を守ることができません。たとえば食料を奪われる度に相手を許してしまえば、奪われた人は飢えて死んでしまうでしょう。
- 『罪悪感』が無ければ、人は他人の権利を簡単に脅かしてしまいます。そういった人間は他者の怒りをかうので、集団から追い出され、生き抜くことは困難になるでしょう。
そして『悲しみ』についてはどうでしょう?
『悲しみ』がなければ、人は自分以外のものを大切に扱おうとは思いません。失うことを本能的に恐れるから、人は他者を愛し、大事にすることができるのです。
『悲しみ』は他者に愛情を注ぎ、思いやり、労うという行動を促します。そしてこれらは協力関係を生み出し、強固な社会集団を築きあげるために必要でした。
こうやって考えると、感情とは人類が生き残り、強い社会を形成するためになくてはならないものだとよく分かります。
感情とは、進化の過程で人類が築き上げた遺産ともいえるのです。
まとめ。『悲しみ』は悪いことではない
『悲しみ』とは、ただネガティブな感情だけではないということが分かったと思います。

レイ
悲しみは必要だよ。
じゃないと、友達を愛することもできないんだよ

アリア
じゃあ…………。どうすればいいの……?

レイ
今はつらいと思うけど、受け入れてあげてくれないか?
それはおまえが一生懸命に生きている証拠だから。